文系DXスタジオ AMUのDXスタートアッププランは「業者に丸投げして、結局誰も使わなくなるシステム」を作るものではありません。 優秀なAI(Gemini)や使い慣れたWord、スマホで動くLINEを使い、 「自社で情報発信をコントロールする力」を身につけていただく伴走型インハウス支援モデルです。
『AI時代の地方生存戦略』連載第6回
地方新聞社が発行する本紙の部数が激減する中で、多くの地方メディアが「生活情報誌」や「サンデー紙」などと称されるポスティング(あるいは折込)型のフリーペーパーに活路を見出そうとしてきた。本紙を購読しない若年層や主婦層にも100%ダイレクトに届くインフラとして、一時は地域の専門店広告を大量に吸い上げ、新聞社の経営を潤す格好の「集金マシーン」となった時代もある。
しかし今、地方都市のポストに投函されるこれらのフリーペーパーを開いてみると、ある奇妙な光景に気づくはずだ。
紙面のかなりの割合が、「自社の主催するイベントの告知」や「自社サイトの会員募集」、あるいは「新聞購読キャンペーン」といった「自社広告」で埋め尽くされているのである。ひどい時には、1ページの半分以上が自社のロゴマークや、意味のないイメージ写真で穴埋めされているケースすらある。
伝統的メディア側は「自社グループのシナジーを活かしたPR枠だ」と言い訳するかもしれない。だが、メディア経営の本質から言えば、これは完全なる「営業の敗北宣言」にほかならない。そして、この敗北を平然と放置し、茹でガエル状態を加速させている元凶こそが、地方の伝統的メディアが抱える最大の足枷――「自社印刷工場」という甘えの根っこなのである。
1. 40年前に先駆者が貫いた「空白への恐怖」
時計の針を40年以上前、地方におけるフリーペーパーの黎明期へと巻き戻してみよう。 当時、地域密着の草分けとして急成長を遂げていた独立資本のフリーペーパー(仮名:サンデーローカル)の現場には、現在の地方メディアが完全に失ってしまった「ヒリヒリするような危機感」が満ちあふれていた。
当時のサンデーローカルの経営陣や営業マンは、「広告枠が埋まらなくても、絶対に自社広告や無意味な記事で穴埋めをしない」という鉄の規律を貫いていた。彼らにとって、広告枠に穴があくということは、そのまま会社の死(倒産)を意味していたからだ。
独立資本のメディアには、本紙の購読料収入もなければ、行政からの手厚い公告収入もない。自社で巨大な印刷工場を持っているわけでもないため、毎週、外部の印刷会社に安くない「現金」を支払って紙面を刷ってもらわなければならない。
枠が埋まらなければ、印刷代が払えない。印刷代が払えなければ、翌週の新聞は出せない。 この極限のハングリー精神があるからこそ、彼らはドブ板営業を厭わず、地元の小さなブティックや飲食店に日参し、「どうすればこのお店にお客を呼べるか」を、店主と一蓮托生になって死に物狂いで考えた。結果として、地域の専門店が本当に効果を実感できる企画が次々と生まれ、媒体としての信頼性と絶対的な地位を築き上げていったのである。
これに比べて、現在の夕刊ローカル紙(B日報など)が発行するフリーペーパーの現状はどうだろうか。広告が埋まらなければ、あっさりと営業を諦め、内製の自社広告で枠を綺麗にカモフラージュする。この行為こそが、「この媒体は広告効果がありません」と、読者や競合他社、そして賢い広告主に向けて自ら白旗を揚げているようなものなのだ。
2. コスト感覚を麻痺させる「自社工場の罠」
なぜ、現在の地方メディアは、これほどまでに致命的な敗北宣言を平然と繰り返すことができるのか。その甘えの根底にあるのが、彼らが誇らしげに維持し続けている「自社印刷工場(輪転機)」の存在である。
自社に工場と輪転機がある経営陣の頭の中には、恐るべきコスト感覚の麻痺(リテラシーの欠如)が存在している。彼らは、広告枠が自社広告で埋まっている状態を見ても、こう考えてしまうのだ。 「どのみち、他社の受託印刷(全国紙など)のために工場は稼働しているんだ」 「自社のフリーペーパーを刷るくらい、インク代と紙代(原価)だけで済むのだから、実質的な損害はほとんどない」
これは、経営学的に見れば完全な間違い(機会損失の無視)である。だが、彼らは「外注費として毎月生身の現金が出ていかない」という目先のキャッシュフローの錯覚によって、自らの無策と営業の怠慢を正当化してしまう。
【自社工場がもたらす甘えの悪循環】
自社工場があるから「原価だけで刷れる」と錯覚する
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広告が埋まらなくても「実損は少ない」と言い訳し、泥臭い営業をサボる
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空白を「自社広告」で穴埋めした、中身の薄い紙面を発行する
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読者や競合から「広告が入らない=効果のない媒体」と見抜かれる
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さらに広告が獲れなくなり、自社広告の割合が増える(メディアの自死)
彼らは、輪転機という巨大な設備を維持するために、毎月莫大な固定費(減価償却費、工場の維持費、専門オペレーターの人件費)を支払い続けている。広告枠を自社広告で埋めるということは、その莫大な固定費をドブに捨てていることと同義であるにもかかわらず、「自社工場だから無理しなくて良い」という甘えの構造が、組織全体のハングリー精神を骨抜きにしていくのである。
3. 「輪転機を回すため」に新聞を発行するという本末転倒
さらに喜劇的なのは、地方新聞社や伝統的印刷会社(創舎など)において、ビジネスの目的と手段が完全に逆転してしまっている点だ。
本来、メディアビジネスとは「価値ある情報(コンテンツ)を届け、読者を集め、その影響力を企業に買ってもらう(広告)」ものである。つまり、印刷工場や輪転機は、情報を届けるための「手段」に過ぎない。
しかし、巨額の投資を行って工場を建ててしまった彼らは、今や「保有している巨大な輪転機を、いかに休ませずに回し続けるか」が経営の至上命題になってしまっている。他社からの受託印刷が減れば、工場の稼働率を維持するためだけに、自社で大して需要のないフリーペーパーや特集号を企画し、無理やり輪転機を回す。
これは、インフラを維持するための防衛策ではなく、インフラ(輪転機)という過去の遺産に、組織全体の未来とリソースが人質に取られている状態(輪転機の呪い)にほかならない。ネット広告やSNS、自社LINEの普及によって「紙のチラシ」という伝達手段自体が市場から見放されている令和の時代において、この重たい物理インフラに脳を支配された経営層に、新しい時代の戦略を描くことなど不可能なのだ。
4. 「持たざる者」として、古いインフラをリプレイスせよ
第1部(第1回〜第6回)の総括として、私たちが地方のビジネスシーンで目撃している「伝統メディアの崩壊」の本質を、改めて定義しよう。
(A新聞)のページ数縮小も、(B日報)の部数激減も、そしてフリーペーパーの自社広告穴埋めも、すべては「過去の成功体験(看板の権威)にあぐらをかき、自社のインフラを守ることだけに終始した結果の自死」のプロセスである。
彼らは、自分たちが「情報をコントロールする特権階級」であるという錯覚から抜け出せず、クライアントである地域の中小企業や専門店が本当に求めている「ファン作りの苦しみ」に寄り添うことを忘れてしまった。だからこそ、時代の変化に最適化されたAIやITツール(Google Sites、GAS、LINEなど)を使いこなすことができず、自滅していっている。
だが、この伝統メディアの自滅を、地方の中堅企業や専門店は「最高のチャンス」として歓迎しなければならない。
彼らが「重たい輪転機」と「過去のしがらみ(人間関係)」に縛られて身動きが取れない間に、私たちは「何も持たざる者」としての圧倒的な軽さとスピードを武器に、市場へ攻め込むことができる。
重たい印刷工場は持たない。情報発信のプラットフォームはWebとSNS(IT)を主軸にする。
紙の冊子を作る場合であっても、Wordを活用した「ビジネスDTP」を駆使し、必要な部数だけをインハウス(内製化)で、極小のコストで制作する。
新聞社の営業のように「枠」を義理で売るのではなく、地域の専門店の「情報発信の仕組み(組織)」を自社で運用できるようサポートするコンサルティングモデルを構築する。
かつて、地元大型家具店のチラシ印刷を原点に輪転機を回して急成長した創舎のようなサクセスストーリーは、紙の時代における最高のビジネスモデルだった。しかし、AI時代の今、私たちが目指すべきは、その「逆」である。古いメディアが「自社広告」で紙面を必死に穴埋めして溺死していくのを横目に、デジタルと汎用ツールを武器にした新しいローカルパブリッシャーが、地域の「物語」を正しく資産化し、年商5,000万円規模の新規事業を軽やかにかっさらっていく。
茹でガエルの甘えの根っこを冷徹に見抜いた者から順に、地方の新しい情報経済圏の主役に躍り出る時代が、すでに始まっている。